アメリカ大陸横断

アメリカ大陸横断

 二十年前、アメリカのサンノゼでしばらく暮らした。
そこはシリコンバレーの街として有名で、日本の商社マンが多かった。
日系二世、三世も多く日本人街もあり、「アメリカ人の多い昭和初期の日本」のような感じがした。
 片言の日本語をしゃべる日系三世の家に滞在した。
一軒家の三ベットルームを借りて、家賃はナント一ヶ月百ドル。
日系二世の友達から五十ドルで車も譲り受けた。
 だが、季節の変化はなく、のんびりした生活で刺激も少なく、二年半でこの生活から脱出することにした。ちょうどルームメイトがニューヨークの企業に引き抜かれたので、男一人女三人で、トラックの荷台にカバーを付けて大陸を横断することにした。二十三~二十五歳とチャレンジ精神旺盛で、「よし、ニューヨークで一年間、勉強してこよう」と意気込んだ。
 アメリカの西と東では、気候はもちろん、文化、習慣、とにかくすべてがあまりにも違う。西のカルフォルニアンはニューヨークを嫌い、ニューヨーカーは西の生活にはなじめないという。「なぜ、あんな街に行くの?」と全員が反対したけど、好奇心いっぱいの私たちをもはや誰も止めることはできなかった。
 サンノゼに別れを告げ、大陸横断へ。トラックの前に二人、荷台に二人が乗ってナビをする。ルートは、治安のよさそうな北側を選んだ。
ソルトレークシティまだはスムーズに行った。
この後、ニューヨークまで日本レストランはないかも・・・。そう思い、日本食レストラン探しをする私たち。レストランどころか店すらなさそうな州を横断するので、電気釜、米、塩、梅干しを購入した。
遠く離れた異国にいても、食生活は日本人だなあと思った。
 
南日本新聞夕刊 平成19年 日刊20822号